介護を抱える家族にキレイ事は無いよ。
家族がこうなると、テレビや映画、小説でさえ「嘘ばっかだな」と思う様になる。キレイ事も多いとは思うけど、何より報道系は編集によって大きく意図が変わって伝わるなってことも多い。
介護を抱える家族は現時点でも多いだろうし、これからも増え続けるだろう。そもそも介護されるだろう年代が爆発的に増えるのはこれからだし。団塊世代の抱える爆弾。その被害は子供世代と孫世代。今の40代と10代前後か。
結構ダメージデカイよ。先に言う。
「家族の介護」どう考えるか?
どんなイメージがあるか?というと、漠然と「大変」という感じだよね。「経済的な負担」「時間を取られる」「着替え、食事、おむつ」など。
個人的に一番のダメージは「それは僕の知っている母ではない」という存在だったことだよね。
ボケてる状態ながら、毎週顔合わせれば息子の顔はわかるし、何か言えば愛想笑いで返してくる。ただ会話は無理なんだよね。向こうにその意思が無いんだろうな。って思う。
食事もワガママばかりで量が減り、身体は痩せるでしょ、食事しないと滑舌も悪くなる。見た目も含めて、そこに居るのは僕の知っている母ではない。
精神的なダメージはここでしょ。
実務的な介護は父がしている
それによって、僕の負担は少ない。住まいも別だし、実家に帰るのは1週に1回程度。
先日こんなことがあった。介護の中で父がギックリ腰をやらかした。そのタイミングで母の通院が必要。これは定期的な診療の為だったんだけどね。
それは平日。姉は勤め人だから簡単に休むことは出来ないので、自営業の僕が呼ばれる。40代とは言え70過ぎた父より力はある。
介護による父のギックリ腰が2次災害だとしたら、その為に仕事を休むのは3次災害。これで僕に何かあれば、嫁や仕事先が4次災害を受けることになる。
これ、案外ありえるのだよね。
ちなみに、「介護の為に仕事を辞めました」というテレビも比較的多いけど、あれは介護に時間が取られるという理由より、本人の無気力化が強いんじゃないかなって思う。仕事なんてやってらんないよ、というか何もやりたく無いし、これ以上何も考えたくない。って感情からの辞職なのでは?って思う事がある。
無気力になるのは仕方ない
自分の知っている親の姿はそこには無い。他人が望んだところで、本人にその意思がなければ、病気の改善も無いだろうと。そしてその可能性も0に近い。
仕事してる時間は現実から開放されるけれど、家に現実に戻るのがしんどい。
先日のブログに出した悪友は、実は事故によって父親が2年近い入院生活の後に亡くなっている。
その悪友曰く、「その頃、たまたま小さな同窓会があったんだよ。そこでアルコール入ったら、自分の愚痴ばかりになっちゃって。それで場が白けるじゃん。もう二度とそのメンバーからの誘いはなくなったよ。やらかしたなって思う」って話。
そう、この介護問題に関わる話って誰にでも相談出来る話じゃ無いし、話しだすと決壊したダムのように愚痴は止まらない。そんな話は面白くもなんともないので、聞く方も悲劇だ。
結局そんな経験をすると、自分で抱え込むことになる。
そりゃ無気力になるよ。仕方ないでしょ。
介護を抱える家族に救いなんて無い。「早くくたばれよ」ってブログの中でも言える人間はまだ楽かもね。他の家族や近所関係、社会でのコミュニティの中で、グッと溜め込んで吐き出せず、静かに我を捨てる人だって居ると思うよ。