家族構成

gettyの画像ばかり並ぶと、どっかのニュースサイトみたいだけど、私的な意見しか載ってませんよ

団塊世代が子や孫の世代に残すかもしれない「不」

NHKで「団塊世代の介護問題」みたいな番組を見たことを思い出した。twitterを見ていて「団塊世代が介護必要になってる事実には触れないのか?」みたいなツイートを見て、同じことを思ったと思いだしたから。

 

とはいえ僕は途中から見てるから間違えもあるとは思うけど。

団塊世代の親の介護が必要となり、団塊世代が抱いてきた未来や老後生活が思うように送れないのだ」みたいな話。

いやいや、視点がおかしいのではないだろうか?

団塊世代はそもそも人数が多いのだから、その中での介護を必要とする親を持つ確率は上がるのでは?ましてや団塊世代も今や70歳オーバー。その親が健在であり、しかも元気に生活をおくる世帯なんてどの程度なのか?

テレビに対して、普段はネットの世論が言うほど馬鹿とは思っていないのだけど、この時ばかりは「テレビを見る中心世代である団塊世代に合わせてる」と思ったよね。その「団塊世代」に対して、頑張れよ。辛いよね、大変だよね。と傷を舐める番組にしか見えなかったよ。

 

団塊世代の高齢化により、高確率で当たる僕の予知する未来

団塊世代がどの程度の人口かはわからないけれど、全人口の1割なんてデータも転がってた。10人に1人が超高齢化。

10人に1人、痴呆になることも、身体に支障が出ることも、その両方を抱えることも確率がドーンと上がるって思う。

高齢者の何割がその状態になるか分からないけれど、絶対数が多いのだからその世代だけ特別ということは無い限り、割合に対する数が大きく上がる。

これは何を示すのか?

 

とある知人は「数年前に免許を返還したのに、クルマに乗ってどこかへ出かけようとする父を発見した。クルマの鍵は開けられたけど、エンジン掛けることが出来ないほどにボケてた。良いのか悪いのか」と。

 

またブログで見かけたのは「徘徊した母が国道を無理に渡ろうとして、それを避けきれず自動車が母と接触して事故に。法としては自動車の前方不注意らしいが、完全にこちらの原因。歩行者対自動車なのでドライバーさんが不利な状況で申し訳ない」と。

 

他によく聞くのは、「介護に時間を取られて仕事を辞めた」という話。先のNHKでもここに触れていた。が、70オーバーの団塊世代が仕事をやめざるを得ないという話は、これからの問題から焦点が外れすぎてる。
そもそも年金も貰いつつも介護も重なり生活が出来ないとは、もう国の問題だろう。

それより、30代〜40代という世代が仕事を辞めざるを得なくなった場合はどうなるのか?それこそ、その世代の老後に何も残らないのだよ。それを支える更に子の世代はどうなるのか?

介護で精神を病む話は先のブログで書いた。

介護問題に関わる話って誰にでも相談出来る話じゃ無いし、話しだすと決壊したダムのように愚痴は止まらない。そんな話は面白くもなんともないので、聞く方も悲劇だ。

結局そんな経験をすると、自分で抱え込むことになる。

そりゃ無気力になるよ。仕方ないでしょ。

経済的にも負担は多い。なのに仕事を含める人間関係が面倒になるのだ。それによって色々な場所から自分を切り離したくなる。「介護により離職」と理由付けは簡単なのだけど、根は深く困難な心理的原因もあると思うよ。

 

という上記の体験をする人が増えるのよ。

 

 

さて、一番言いたい事は何か。

団塊世代が介護を必要とする時代に既に入っている。そして、僕の様な突然振りかかり困惑。この問題を抱える家族が増えるのだ。」

国の問題でもあり、地域の問題でもあり、家族の問題でもある。パブリックとプライベートが絡みあう難しい問題なのだよね。

そして、悲しいことに現状の「介護保険」はビジネスとしては良いと思う部分を見つつも、使う側としては分かりにくい上に、結局は大きな経済的負担が伴うということ、また、家族のメンタル的な部分のサポートも無い上に明確な解決策も無い。

 

介護保険に絡む仕事はメリットは大きい。経営者としてみれば、知れば知るほど色々なビジネスが浮かぶ。参入も案外楽だし、賄賂うんぬんのルートも分かりやすく、面白いほど醜い経営者の構図も見える。賄賂っていっても悲しい程に小さい金額。とはいえ、一般人のお小遣いとしては十分すぎる金額。こんな構図がパパっとできちゃうこの仕組はバランス悪いよ。需要が増えすぎちゃって、管理する仕組みが間に合ってない様に見える。

 

ひとつ言えるなら、今はなんだかんだと言っても介護保険を上手く活用するのが経済的な負担は少なくなる。ただ、その関係する人たちの裏側を経営者視点で考えると、嫌な気分になることが多いので、その辺りは詮索しない方が自分の精神安定の上で良いと思う。

そして、「介護」に向き合うタイミングは突如やってくる。もちろん無い可能性もある。でも、家族があるのならその可能性は0じゃない。

「老後にこれやろう」とか「子供が独立したらこれやろう」とか「いつかコレを買って」とか、そういう気持ちがあるのであれば、その気持があるウチに今すぐ始めるべき!

 

僕は趣味の時間が無くなりました。

たまの気分転換は必要。でも趣味で遊んでると父の姿が浮かんでくる。まったく集中出来ない。全ての道具を一度手放しました。趣味とはいえ、身体を使って臨むスポーツには集中力の欠如は死を意味するからね。

もう、やりたいことが出来ない。そんな状況が増えてくると、介護を必要とする母に対して恨みしか湧かない。