家族構成

gettyの画像ばかり並ぶと、どっかのニュースサイトみたいだけど、私的な意見しか載ってませんよ

消えぬ記憶の影響って

前のエントリー「暗い空想遊びと過去の出来事」に書いたけど、母親から受けた行為の意味が理解出来るころから不信感しかない。その当時は「躾」の一貫と思っていたことが「死」を招く一歩手前だったということ。

あそこで自分自身が諦めていたら、逆に母を信頼して抵抗していなかったら。今ここにいるだろうか?とフラッシュバックすることが、ここ数ヶ月繰り返される。

 

子供の頃の経験って全てが残るというより、衝撃的なモノばかり残っていく。状況によっては記憶違いもあるかもしれないけれど、何度も繰り返すことで新鮮なまま映像として残っているモノは生々しい。

僕の場合は、今も実家に残るあの窓から注ぐ朝日がリンクする。

 

その頃の母の歳となって「育児ノイローゼ」という言葉も理解出来るようになったけれども、他人事に出来ないからこそ苦しむ本人としての僕。

ここに救いはあるのか?

 

子育てに色々試行錯誤があっただろう。今思えば市の保健所みたいなところでのカウンセリングにも連れてかれた気がする。駅前の道を歩けばその記憶も思い出す。相談内容は今となっては知り得ないけれど。

 

「母のことが嫌い」という事はどうにもならない気がする。それを変えようとすれば、心のどこかで反発するし、無視しようとしても現実がそこにある。

結局何をするわけではないけれど、迷惑な存在として常にチラつく鬱陶しさ。

 

繰り返しちゃうけど、直接何があるわけじゃない。何もすることが無い。なのに「母」という存在だからこそ、知っておかなければならないのではないか。

嫌いなのに、触れたくない情報なのに、それを常にアップデートしていかなければならないと考える自分自身へのストレスだろう。