大きく変わった家族の風景
僕が育った環境は、父親の両親と暮らしていたので、実家で過ごしている時期は6人家族だった。
祖父母は戦争を体験している世代。その戦時中からその場所で暮らしてきた。
姉は就職して結婚をすると同時に家を離れた。僕は大学時代から家に帰らない事は多かったけれど、大学を卒業して2年目から家を出た。
その後ちょこちょこ年単位で実家に住むこともあったけれど、一人暮らしを始めれば自分の生活が中心となってくるから、結果的に実家への興味というか関心が無くなる。
気がつけば年に1度か2度帰るくらい。
祖父母は病院で亡くなったのだけど、どちらも最後まで会話もあったし、いざという時には早かった。比較的長生きだったよね。少なからず、僕が社会人になった歳でも元気は良かった。
そんな環境では「介護」なんて想像もしなかったよね。祖父母が入院したとしても、全ては病院でしてくれていたし。
しかも、70歳で母がボケた上に、食事も自力で出来ないとは。想像すらしなかった。
たまたま家族が揃った日曜日。姉が母を前に子供用のパズルをさせている。100均で見かける様な、幼稚園児向けの様なおもちゃ。
子供を手懐ける様に姉は母を促す。ひとつひとつパーツが組み込まれる毎に「よくできましたね」と。子供か。
「何か考える切っ掛けを作りたいと思ったけれど、脳トレみたいなドリルとかも、既に無理だったみたい。この段階が精一杯だと思った」と、姉。
暗い気持ちしかないわ。
寝たきりは悪いと、車いすに腰掛けさせられボーッとテレビの方向を見つめながら空を見る母。腰を痛めてからは居間でも椅子を使うようになった父。母にパズルをさせようとする姉。そんな3人を見ている僕。僕はその畳の部屋で横になっている。
6畳の畳の部屋にちゃぶ台を前に、車いすとインテリアに沿わない父の使う椅子、車いすに合うサイズのサイドテーブルを前に立ち膝でパズルをならべる。
畳には寝そべるのが一番楽だと思う僕は、立ち上がろうとは思わない。
不格好な風景だなって思う。会話はあるけど、皆があきらめ顔で疲れてる。ため息は聞こえてこないけど、ずっとそこにある気がする。