感謝のことばとか
死者に対しては感謝の言葉で送ることが多いだろう。特に身内ならそうだ。親なら更にそうだろう。
僕らは母の死を迎えた時に、感謝の言葉で送れるのだろうか。
安らぎはその時にやってくる。家族全員揃っての安らぎはもう無い。
もしあなたに家族がいるのであれば、一緒に過ごす時間を大切にしてほしい。今は今しかないという言葉も、自由を失って初めて知るのだ。
親に対して特別な思いは無い。メディアが作り上げる様な「親への過剰な感謝」は誰にも当てはまるモノではない。妙に感情的になって涙をながすのも、葬式の時くらいで良いのではないか?そんなに親って大切か?
親世代が作ったメディアだから、「親へ感謝しろ」と猛烈プッシュがあるのだ。ただ考えなければならないのは、自然の摂理として自分は親より長生きする。その時、親へ過剰な依存や想いを持ち続けたならば、親の死後その弔いで時間を潰すことになる。
自分の人生なのだから、自分の未来を考え作りつづける時間を使うべきではないか。
この世に自分が生まれたのは、親の存在があるからこそだ。ただ、生まれた後の人生は自分で選び歩んできた道の先にあるもの。親へ感謝することと、自分の人生の形成は別のことなのだ。
多くの人は間違えている。人生は自ら歩むもの。親とはいえ誰かから与えられたものではない。だからこそ、他者への過剰な感謝はただの依存でしかない。
親より長く生きるのであれば、しっかりと自立すること。それが大切だ。
あなたは自分の人生を歩んでいるか?いつも突きつけられる質問。
親とはいえ、子供の人生を荒らすことはならない。人生を自分のもののように扱うことも許されない。個人はそれぞれの人生を歩むべきだ。誰からのコントロールもされてはならないのだ。