家族構成

gettyの画像ばかり並ぶと、どっかのニュースサイトみたいだけど、私的な意見しか載ってませんよ

人の弱さ。自分の弱さ。

事実を認めること、そして理解する。落とし所というか、現状を納得させること。

理解。事実を認めるって難しいけど、逃げまわっていたら何も解決策はみつからないし、自分の気持ちの方向や割り切る部分が見えない。

人間ってつくづく弱いものだと知ったよ。

 

何も出来ない、何もしたくない、上手くいかない理由をすべて言い訳する。全部良い方向の感情ではない。誰にも頼れない、打ち明けられない。逃げきれない。無視できない。疲れた。感情を押し込めて閉じこもる。ひとりきり。

色々な絡みが人を変えていく。この泥沼は何がトリガーとなったのか。長年距離を置き、現実を見まいとしてきた結果がこれ。

日常では普通を装う。けれど、実際には全く仕事が手に付かない。

 

自営業だけに、忙しい時期は気持ちも楽なのだけれど、結果的にミスが多くしばらく仕事など集中出来る気がしない。

原因は何か?

初めこの混乱のスタートはボケた母親の自宅介護が決まった瞬間からだった。病院に入院している時は、何の気もしていなかった。

慌ただしく自宅へ母が帰り、父親とのコミュニケーションを間近で見て、気持ちがどんどん折れていった結果、また病院で母が暮らしているにも関わらず、心は晴れない。

 

仕事を選ぶうちに、減ってきたことで、仕事面での自信も失いかけてきた。社会での活動ってメンタルへ直結しているのだと感じる。

「何をしてもダメ」こういう傾向が気持ちに出てきている今は、ちょっと風向きは危うい。この泥沼からもがくことと、無理せず流れに任せること。

 

自分に都合よく考えつつも、ちょっと今は何も出来ない。

成功体験が欲しいね。自信が欲しい。

自分にとって一番大切な時間を病気の家族が破壊する

浮気は好きか?その問に「YES」であれば、この後の話に共感してもらえるかも。

浮気をどうのこうの攻める気はない。ただその瞬間の快楽、危険を犯す罪悪感、緊張感。様々な刺激が虜にさせるのだろう。たぶん相手の数だけ違う楽しみもあるのだと思う。

では、その楽しみの瞬間に家族の顔が頭をよぎったら?楽しみ続けることが出来るだろうか?集中出来ず、更には罪悪感は増すだろう。それは既に心地よさではない。

僕がそうだった。

ただ、僕の場合はクルマだった。浮気の相手は女性ではなくクルマ。

 

男は女が好きだ。そして男はそれ以上に車が好きだ。映画「ラッシュ」の中でのセリフ。このセリフ通り車が好きだ。

アクセルの踏み込みに比例して快楽が上がる。死への緊張感も上がる。そして溢れる快楽。どこまで踏み込めるのか、少しのミスが乗っているクルマどころか、自分の人生さえも失うという緊張感はたまらない。もちろん、交通のモラルを破る罪悪感も。

 

その時間に家族の顔がチラつく。集中力が切れたままクルマを運転するなど、自殺行為だ。そして趣味のクルマを降りた。

母の病歴を知ることで落ち込んだ日

母のことをあまり知らなかった。病院で入院することで多くの過去が見えてきた。なんとも悔しい思いでもある。

 

母が入院した。てんかん痙攣を複数回起こし、週に3回のデイサービスの施設から病院へ直接運ばれた。母が居ないうちに家事を済ませようとドタバタしていた父は、その当日てんやわんやだった様だ。

 

集中治療室に入るも危険な状態では無いことが分かり、次の日には一般の病室へ移った。ただし、まだ目は覚ましていない。ずっと眠ったまま。この状態も正直あまり良いとは言えない。

 

父が居ない場で看護師から過去の病気などを聞かれる。既に父にヒアリング済だけれども、その照らし合わせと抜け落ちが無いかの確認。

母は20代で脳腫瘍を患っていた。その手術があってその後に姉と僕を生んでいる。この事実に40で知らされる衝撃。子供には無闇矢鱈に言わないでおこうとしたのかもしれないけれど、結果的に状況がつかめずにワガママも言ってきた。

もし過去に大病を患い、子ども達へ心配掛けまいと伏せておく選択を選んだ人がいるなら、出来れば今直ぐ伝えて欲しい。子の年齢なども問わず、早ければ早いほうが良い。

僕も子供の頃に知っていたら、医者になっていたかもしれないよ。人生振り返って後悔した瞬間。

 

その先、色々な病院を巡るが、僕が覚えているのは僕が高校時代の頃から。その前の状況は曖昧過ぎる。知っていれば記録取っていただろう。クソ。

 

案の定、父からの伝達は漏れがあった。前回の病院退院後の日常生活での過ごし方なども上手く伝えられていなかった。

父は人へ伝えるという行為が苦手のようだ。

 

「母の時々攻撃的になる性格も、脳腫瘍の手術のせいではないか?」とは妻の言葉。そうかもしれない。無いとは言えない。しかし、知らなければ理由なく攻撃的になる母を嫌いになるだけのこと。

一度嫌いになった人を、どう受け止めたら良いのか。他人へ心配かけまいとする気持ちが、結果的に他人を苦しめる。全く良いことなんてない。

親に対する漠然とした不安

そこそこ落ち込んでいる。どうも気が散って仕事が進まない。

「父が説明が苦手なのでは」と書いたけれど、実はもっとショッキングというか。「説明するスキルが無いのではないか」という仮定で今はグルグルと考えている。

 

それ、辛くない?

僕自身は父に対して大きな尊敬の気持ちを持っている。子育てしてきた父の歳になって、尚更そう思う。

でも、その父が、そうしたことを苦手と思う気持ちは理解できる。論理的な思考はそもそも苦手な性格。どちらかというと職人気質な感覚でモノを伝えていくタイプ。そこには基礎として相手を信じる気持ちがある。だから父は尊敬できる。

 

母の身に何が起きているのか、僕らが探る必要がある。

 

もう二度と目を覚まさないのではないか。そんな思考が過ると、ちょっぴり複雑不安な気持ちになる。

そんなに好きでないとはいえ、やはり母だ。最近は一緒に過ごした思い出など振り返ったりしてしまう。この時間がなんとも嫌な時間だ。

 

母はどうなるのだろうか。

意識不明という状態の睡眠の中で

母を見舞う姉から連絡を受けたのだけれども、「この様子では目をさますことは無いのでは?」とのこと。そんなではあるけれども、状況に変化は無いだろうとのことで、今週の仕事のタイミングで見舞う予定だ。

相変わらず状況がわからない。父が伝えてくれないのだけれども、僕らを気遣うよりももしかしたら「状況を説明する」そのこと自体が苦手なのではないか?と妻は言う。

 

痙攣、意識不明、この数日で聞いたいろいろなキーワードで検索してみる。今までの症状など、僕が知っている限りで検索を試みるけれども、大脳に障害がありそうだなと、おおまかに脳がバグっているという状況が見えてきた。

外的な後天的な症状なのか、生まれつきのものなのか、その根本の原因は分からない。もともと子供の頃から身体が弱かったのか、何なのか。

 

これを書いていてふと思った。母の兄に聞いてみようか。

もしかしたら、状況をもっと把握出来るかもしれない。あまりにも見えなすぎて困っている。

 

母は僕の中では死んだ。ただ、今もICUに横になり夢を見続ける母が現実にいる。そして、どうにも説明のつかない僕の気持ちがそこにあり、曖昧なインターネットの海を漂っている。このブログもその欠片のひとつだ。

僕の中で、母が死んだ日

母がボケたとき、僕の中で母は死んだ。だから悲しかったし、辛かった。

だから、今更復帰してもらったとしても、僕はどんな態度をとれば良いのか悩んでしまう。変な悩み。

母が僕の中で死んだとするなら、今治療室に居るのは誰なのだ。

記憶も曖昧にボケた母はどう生きていくのか。

母の残された命も、まだ長い様で短いのかもしれない。