家族構成

gettyの画像ばかり並ぶと、どっかのニュースサイトみたいだけど、私的な意見しか載ってませんよ

母が死んでも解決しないこと

「早くクタバレ」と願う自分が居る中で、ふと「この後父はどうなるのだろう?」という不安。

会社を退職した父は、ほぼ一日の全てを母の介護で費やしている。買い物や腰痛の治療などのタイミングで抜ける以外は、家にいる時間。

最近はショートステイを行っているから、月に1度程度で5日くらいの自由時間はある。

 

毎日食事を作り「何が食べたい?」「次はこれを作ろうな」「夕飯はこれでいいか?」なんて母に語りかける父を見ていると不安になる。

どんな夫婦だったのか、僕ら子供にすら見えない部分も多いとは思うけれど、長年のパートナーを失うのは辛いだろう。ましてや、ここまで寄り添っている時間が増えれば、その相手を失った時のショックは大きいだろう。

 

父に「たまには適度に手を抜けよ」というものの、完全全力疾走に見える時がある。これ、お袋がクタバレば、そのままオヤジの受ける衝撃もデカイだろうなと想像する。

 

だれも幸せになれないのが介護だと思う。

願うことなら、死ぬ時はポックリ行きたいもんだ。

 

僕らの祖父母世代はしきりに「ポックリ地蔵」など「ポックリ」という願いを胸に、各地の神社仏閣にお参り行ったり旅していたイメージが強い。

最近のジジババは「長生き」とか言うだろ。とっとと死ねよ。何もすることが無いのに長生きされても迷惑だ。クソったれ。団塊世代も早く散れ。

華は散り際が美しいというから、最後くらい美しいところを見せてくれよ。

 

介護を経験した人は「ポックリ」を願うだろう。

本来動物として「立てない」「飯が食えない」は直接的な「死」を示すはず。今の社会ではそれは「死」を選ぶことはない。『無駄』に生き続けるのだ。誰が幸せなんだ?ボケた本人にどんな意思があるというのだ?

医療は考えたほうがいい。姥捨て山バンザイだ。あの昔話に出てくるような「知恵」に富んだ老人がどれだけいるのだ?

「生」にしがみつく金の亡者しかいないじゃないか。

 

介護を仕事にする人口はここ10年でどれだけ増えただろう。その皆がきっと「介護されるよりポックリイキタイ」と願うのではないだろうか?

「介護される姿は醜い」ただそれだけ。幸せな人なんて、その周りには誰もいないのだ。