家族構成

gettyの画像ばかり並ぶと、どっかのニュースサイトみたいだけど、私的な意見しか載ってませんよ

確実にきている親の死を考える。

肝臓の機能を示す物質の数値が異様に低いと、病院は今回転院を断念したそう。

肝臓の機能が落ちれば、血液中の毒素的な要素も高まるよね。その予測からすると、身体にも脳にも良く無い。

やばいかもな。と、覚悟した。頑張ってる母には悪いが、その日は近いかもしれない。

もう少しだけ生きてて良いよ。って、一度は母の死を望んだ立場から偉そうに口にしてみる。

うわっ!と叫ぶたくなるような思いが溢れて来て、眠れなくなった。こういうときは眠る必要は無い。

親へは迷惑ばかり。警察沙汰は二十歳を越えてからなので親へは心配かけて無いと思うけど。

それでも、馬鹿な事ばかりして心配かけてきた。

そんな母がいつかは死ぬ。それば事実で誰もが知っている。

知りたい人がどれだけいるのか、でもその日はやってくる。

どうなんだろな。僕が死ぬのかな。

血液検査で転院延期

だからさ、血液検査で何の数値が高いのか低いのか、そこを教えてくれよ。ってオヤジに言いたい。分からないなりに情報は分けてくれ。わからないことが多すぎてストレスためてるのを理解してほしい。

医者じゃないけれど、それなりの知識も経験も積んできた。医療学会の顧問と一緒に仕事してリアル白い巨塔の道を歩いたのだよ。

あれはモーゼの海を割った話そのものの景色だよね。

 

でもって、子供は子供ってことでしか無いのは仕方ないけどさ、もう少し息子にも興味持ってみたら?どんな仕事してるのか?とか。

 

無理ゲー

例えば、父が倒れたら。と想像したら怖くなって眠れなくなったのが昨夜。

70歳過ぎてクルマを運転しているけれど、傷だらけの車体を見ると不安になる。壁や垣根などで擦っているみたいだ。

交通事故だけでなく、年齢も年齢だけにそれなりの不具合が身体にでてもおかしくはない。そう考えると、母の介護を誰がするのか。施設に入れるにしても、その料金を誰が払うのか。色々想像したら怖くなった。

 

まったくの想像だけど、ありえなくはない。

実家の維持に加え、両親の入院費用などを支払うことを考えたら、親の受け取ってる年金額を超大幅に越えているのですよ。加えて自分の家の家賃もここに加わる。無理無理。

 

何かに備えろとは言うけど、これは無理ゲー。

 

前にも書いたけど、父は体調について隠している事があるんだよね。公開しない。これ突然来る系だと思うよ。

余命宣告ほど長くはないかもな

母と話す時間。まだ何を言っているのか分からないけれど、挨拶程度の会話は意思疎通できる。精神的な部分はどこまで正常なのか?

入院している間に、また身体の動きが鈍くなった。手を動かしたりする際に定まらない。手を上下させる動きの中に、大きな震えが伴う。

 

歯が弱っていたと、3本ほど抜歯された。差し歯も全て抜いている状態の母は、なんとも哀れな姿だ。でも、なんとなくこんな老人の姿も、小学生時代に友人の家で見かけた気もしている。

普通に家族と生活を送っていて、「まだくたばらねぇんだよ」と口は悪いけれど愛のあるコミュニケーションで、家族が形成されていた時代が僕が生きてきた中にあった。今は家族が寄り添えず、老人同士による介護が生まれている。我が家もそうだ。

姉も、僕も実家に住もうとは思わない。思えない。

 

家で過ごせない時間は悲しいよね。母は病床で何を考えているのだろう。

 

父は相変わらず母を家に迎えようとリハビリの進行などを喜ぶが、実際には父の好意は母に伝わらないと思っている。ちょっと一方的すぎるのだ。父はそれを分かってはいない。不器用なんだよな。

何か見返りを期待しての介護では無いと理解しつつも、どうしても気持ちが伝わらない時に感情的になってしまう父。

 

その繰り返しで、母は家を心地よい場とは思っていない。デイサービスなどの場がとても居心地良いという。その言葉を聞いて、また父が落ち込む。

 

それを近くで見る子の感情はどうなのか?なんとも言葉にしにくく、悲しくもあり。そして、現状を嘆くことも悲しくことも、どこかで許されない様な感覚。

どこにでもある風景なのかもしれない。だけど、家族は苦しいよね。本人も苦しいと思うけれど。

 

病床でリハビリ後の母を眺めていると、5〜6年は持たないかもしれないと。なんの脈略も無いけどそう思った。たぶん、本人の生きようとする力が弱くなっているのかもしれない。

さらっと余命宣告。5〜6年は短いか長いか。

病院で状況を聞いてきた。今回のてんかんの発作は、クスリの量を下げながら様子を見ましょう。活発な脳の活動を抑えるクスリなので、抜けてくると意識がよりはっきりするはず。

クスリが抜ければ、今回の入院前と同じ状態に戻る理屈ではある。とのこと。

 

気になるのは、入院前の症状など。痴呆っぽい症状が出ていたのは脳の萎縮が原因。一度萎縮してしまえば、戻ることは無く、現状維持が一番のベストとなる。進行をどれだけ遅らせる事ができるか。

 

脳の萎縮は進むと、機能が低下することで身体も上手く動かなくなってくる。そうした人の末期は寝たきりとなり、肺炎か風邪で亡くなる。進行が見えてから、5〜6年というのが実際の数字ですね。

 

現在の状態や転院、それらのゴールの設定の話を進めながら、さらっと事実上の余命宣告となりました。一緒に聞いていた父は、あまり実感が無いようで反応することもなく、その後も触れることは無かった。

 

この5〜6年という数字。短いと思うか、長いと思うか。

家族が、ましてや親の命が「あと5〜6年」と示されたら、「あぁ、あと5〜6年精一杯の親孝行をしよう」と思いがちだけれども、「この生活があと5〜6年」と考えると、ちょっぴりハードだ。

 

父親も5〜6年で更に歳を重ねる事実。父が動けなくなったら、誰が対応するのか。僕はその時45歳、姉は49歳か。

父親も元気でいてくれたら嬉しいが。願いはどこに焦点を当てるべきか。

介護疲れは癒やされる時がくるか。なんで、こんなに社会に被介護者が増えたん?

介護。テレビでもスマホを覗いても、必ず出てくるキーワード。一日何度見るだろう。ただ、仕事として関わる人はともかく、家族が介護を必要とする日がくること、そしてその介護を自分が行う日が来ることを誰が予測出来るのか。

 

介護の仕事は大変だと思う。更には経営者でない限り、報酬もそれに見合っているとは思えない情報も多い。ただ「仕事」という意味では地方の社会で貴重な働き場なのかもしれない。これは否定しないし、今はここに言及する気はない。

今は家族の介護だ。

 

家族の介護は当たり前の様に報酬は無い。あっても驚くけれど「家族なのだから」と突然押し付けられる事実も当たり前の様にやってくる。

我が家で言えば遺産となるような財産も無い。それどころか、わずかばかりの老夫婦の貯金を日々の介護生活が蝕んでいく。社会を恨む気はないが、どちらかといえばこの事実のみを恨む。そして、それを無視して生活を送れない自分を恨む。

 

親の介護とはいえ、今は入院している。自宅介護という状況ではないから、僕にすることは無い。勝手に落ち込み、勝手に悩んでいるだけ。バカかよ。

家には親父がひとり暮らす。生活は裕福ではないけれど、何して暮らしているのか?離れて暮らす僕らに知る由もない。知る必要も無いのかもしれないけれど。

 

週に一度、実家を訪れる生活は続いている。今はその日のままに病院を見舞う。

目は開いているのか、意識はあるのか。そればかりが不安で仕方ない。でも、結果的にそうであっても、そうでなくても、僕に直接的な影響は無い。

 

動けないのを親のせいにしている。鬱状態ではあるけれど、気持ちが落ち着かない。どうしたらいいのか。自分を見失いながら、家族のことを考える日が続く。

 

家族のことなんて、ずっと無視してきたのに、目を向けたら一気に感情が動き出した。だからこそ出来ることもあるだろうし、やるべき事もあるだろう。

僕に出来るのは介護じゃないけど、家族が介護を必要とする日が突然やってくる様な、そんな人達へ「こんなこと考える人も居た」ってメモくらいにはなるだろう。

 

介護の疲れは永遠に癒やされないと思っている。介護は被介護者が生き続ける限り続くものであって、死んだ時には「もっとこうしておけば」とそんな後悔ばかりの感情だけが残るのではないだろうか。

介護者をかかえる社会に未来はない。なんで、こんなに社会に被介護者が増えたん?

目を開かない親を目の前にして思うこと

いつまで続くのかな。この生活。

ずっと実家のことは無視して生きてきたけど、そういう年齢ではなかったことを知ったのが今年の初め。今は両親ともに気がかりで仕方がない。

 

そう、親の衰えを知ったから。

 

自分の親はいつまでも元気で変わらず居るのだと思っているところがある。いや、自然の流れから先に逝くことは理解してはいるのだけど、それは今では無いと言い続けている感じ。そうやって現実から目をそらしているのだよね。

それに気づいちゃったら無視は出来ないよ。

 

母親は目を覚まさず、ずっと眠りの中。父親は不器用に日々の生活を送っている。10代20代の不器用な男の一人暮らしを見ているようで、近くで見ていると気がかりで仕方ない。とはいえ、手を出したところでずっと何か出来るわけじゃない。

それぞれ別に暮らすのだから、一緒にいる時間はそれぞれの役があるようで、それを互いに演じながら過ごす。

自分を育てた親なのだから、僕が心配する必要は無いよ。そう自分に言い聞かせて、今の自分の家に帰る。その生活を一週間ごとに繰り返す。

 

だんだんと疲れも溜まってきた。仕事だけだったら、もっと楽なのかな?移動はクルマで1時間程度。けして遠くは無い。

 

でも、疲れたよ。僕は疲れたよ。