母が死んだ時、僕は何を考えるのか。
母が死んだ報告を考えたりしている。もちろんまだ生きてる。でも、どう伝えるのだろう?と考えることがある。
母は何度かの足の骨折をしてから歩行が難しくなっていました。最後の頃は痴呆の症状を見せました。この時ばかりは現実から目を背けたいと、目の前で起きている事実を否定しようと、僕も家族も苦しみ様々な可能性を探りました。
しかし、いくら騒いだところで状況が変わるわけでもなく、「介護」とは想像以上の出来事が日々の頭の片隅に常時あるという残酷さなのだと知りました。
病院や施設などで老人の対応をすることも、それこそ痴呆の症状を見せる老人とのコミュニケーションも仕事であれば苦はありませんでした。
しかし、身内のこと。
特にずっと一緒に暮らした母が、そうした症状を見せることは、まったく受け入れがたく。乱暴な言葉を使う姿や、幻覚から騒ぎ出す姿を見るのは辛かったです。
そして、そのことが頭から離れず、結果的に日々の生活が自暴自棄になっていきます。
介護で離職する人は「介護に時間が取られる」からではなく、精神的に参った結果なのだと。この時知ることとなりました。
結果的に早く死んでくれたらと願う日もあったことは否定しません。ただ、そうした事で介護につきっきりの父が気落ちする姿は想像出来なかった。
実際どうなるのか、まだ心配ではあります。